十九番札所 鑓水 から 日の隈 霊場 へ



十九番札所 鑓水

どの霊場もそうですが、昔のメインルートは今の裏道。ちょっと入り込まなくては発見できません。階段を登った小さな丘にあります。ここにはしっかり、十九番立江寺と書かれています。

絵図に描かれている「エイショ」とは、明治30年に設置された歩兵第48連隊、現在の陸上自衛隊です。国分村にこの第48連隊が来たことで。この村は大きく変化したんだそうです。このとき、久留米衛戍病院も設置されています。エイショの下に書かれているのは「シャテキバ」です。霊場ではありませんよ。

ところで、この絵図は明治35年頃のものです。このときあったもの、なかったものを見比べるのも面白い!



七十九番札所 河原

河原の天神山と呼ばれるところです。川原とも書くようで、どうも「コウラ」と読むようです。間違いかも?

昔の高良川は、雨のたびに流れを変えていて、そこらじゅうがカワラだったようです。ま、それは全国ドコデモの話ですが・・

この天神さまがあるところは、高台にあり、雨の心配はないようです。「初手物語」にも登場してきます。国分エリアを知るには初手物語は必読です。



二十六番札所 正源寺

競輪場のそばにある黄檗宗の寺院です。隠元さんの黄檗宗です。余談ですが、僕が通っていた高校の国語の先生は、競輪場の最終レースの鐘の音を、正源寺の鐘の音とズ~ト勘違いされていたようです。天井を見上げて、「お~、今日も正源寺の鐘の音が・・」と感動されていましたが、僕らはクスクス・・・誰も教えてあげる勇気はありませんでした。笑;



八十四番札所 東

東とは、初手物語によると町名だそうです。川南道中案内には、「安徳天皇ノわき」と記されています。行ってみると、そのとおり!水天宮が祀ってありました。



八十番札所 西

久留米市の「歴史散歩No.3」に、国分の字図が記載されていました。字図によると、字西は字東より随分広いようです。そして、その図から判断すると左のお堂になりました。現在、堀川のバス停で西村というところがありますが、現実の西というところは、もう少し南に入り込んだところです。

ダウンロード
国分の字名
ハツ枝.pdf
PDFファイル 1.2 MB


十五番札所 八ッ枝

初手物語によると、国分辺りは竹林が多く、湧水が豊富だったそうです。48連隊がこの地に決まったのも、水の豊富さが大きな要因とも聞きます。

この初手物語は、とてもおもしろい。オススメです!



九番札所 釈迦堂

国分僧寺塔跡の隣りにあります。



六十三番札所 正福寺

天台宗の寺院です。川南道中案内にも63番札所と記載されています。



奥院 日の隈