1. 14名の関係は?
川南道中案内によると、以下の14名が四国に渡ってお土を受けてきたと記されています。
しかも、そのお土は丁寧に布袋に入れられ、いまでも医王寺で保管されています。
"三井四国御土受人名明治三十五年旧正月十三日 出立"
・久留米市苧扱川町一丁目 原 吉平
・小郡村 大字小郡 江島 平吉
・仝村 字寺福童 松枝 喜太郎
・宮ノ陣村 字宮ノ地 福成 徳眼
・山本村 字耳納村 馬場 重七
・国分村 字日渡 江渕 倉蔵
・仝 前 柳 宋五郎
"三井四国御土受人名明治三十六年旧二月十九日 出立"
・仝 前 新谷 松蔵
・高良内村鑓水 田中 宗作
・上津荒木村 字藤山? 光安 梅吉
・仝 前 中尾 元吉
・仝 前 中村 義記
・味坂村 大字味坂 寺崎 磯吉
・御原村 字 二森? 今村 良信
14名の住所は、広域にまたがり、まさに川北コースと川南コースに居住する人々です。
さてさて、この14名はどういう関係の人々なのでしょうか?
2. お堂との関係性は?
参拝するお堂は、存在する集落の人々によって支えられているものです。すなわち、集落の人々の所有物のはずです。そのお堂に四国からお受けしてきたお土を置いてお参りの霊場とするには、集落との連携がなければならないはずです。勝手にお土を置くわけには行かないと思います。
この調整は、いったいどのようにしてなされていったのでしょうか? 成立の組織論です。
3. 札所番号が全く連続していないのはなぜなのか?
新規に写し霊場を設定するならば、四国のように順路に沿った番号をふればと思われますが、なぜかバラバラなのです。これでは逆打ちなどもありえません。それはなぜなのでしょうか?なんらかの事情があったはずです。
4. お寺名が偽名化されている理由は? お寺との関係は?
川南道中案内の中で、安養寺が「安意寺」と記されていたので、これは誤りだと判断していましたが、川北の案内をみると、例として・・・
西方寺→済保寺 専称寺→寶正寺 慶運寺→敬保寺?
気のせいでしょうか? 私の間違いでしょうか? なんとなくわざとらしさを感じるのですが・・・
【川北】
整理番号
39 保蔵寺=法蔵寺 実存する寺院はなく、地名。
100 千徳寺 臨済宗 現同じ。
102 寺 = 安国寺管理のお堂(臨済宗 南禅寺派 神代山 安国寺禅寺)
105 寺 = 円勝寺 曹洞宗
116 白子山 =白子山観音寺(現在西方寺管理)
124 済保寺 =西方寺 浄土宗
181 寶正寺 = 専称寺(浄土宗)
241 西光寺 = 西光寺(浄土宗)
247 敬保寺 = 不明
【川南】
6 威徳院 = 現存
7 海岸寺 = 不明
33 安意寺 = 安養寺 (浄土宗)
45 藤山寺 = 専修寺 (浄土宗)
51 極楽寺 = 極楽寺 (浄土宗)
52 光勝寺 = 光勝寺 (浄土宗)
58 正福寺 = 正福寺 (天台宗)
66 正源寺 = 正源寺 (黄檗宗)
67 福聚寺 = 福聚寺 (臨済宗妙心寺派)
ムリョ寺 = 無量寺 (浄土宗)※川南道中案内には記載なし
なんとんく、スタート時に浄土宗寺院との関係が、しっくり来ていなかったような感じですね。
しかも、浄土宗にかかわらず、ナンバー札所から外れた寺院もあります。
5. 41番札所の本尊が川北も川南も地蔵菩薩になっている?
四国の第41番札所 稲荷山 護国院 龍光寺の本尊は、十一面観世音菩薩。
しかし、川北の道中案内を見ても川南の道中案内を見ても、41番札所は地蔵菩薩になっています。
さて、これはいかなる理由でしょうか??
藤山の弘法山の八十八体仏。41番は地蔵と彫られているように見えます。読めませんが・・・