気になる霊場


上弓削にある二つのお堂

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ここの二つのお堂には、同時期に建てられたと思われる石碑があります。

まず、整理番号102上弓削寺の石碑には、

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三井四国八十八ヶ所

本尊大日如来

七十二番霊場

明治三十七年四月立之

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続いて、整理番号101上弓削銀月の石碑には、

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三井四国八十八ヶ所霊場

本尊聖観世音

八十三番奥院

明治三十七年四月立之

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どちらにも、三井四国と書かれて、三井川北四国ではないのです。確かに川北のスタートが明治41年だとすると、それ以前です。三井四国八十八ヶ所霊場が明治36年スタートだとすると、その直後に据えられた石碑だと考えられます。しかし、72番霊場は川南の高良内村慈童寺のみで、それは絵地図の場所とは一致しません。そこで私は、川北にある60番の乙丸酒場(山の寿酒造)が72番に相当するのではないかと考えてみました。

私の推察ですが、三井四国八十八ヶ所霊場がスタートした一年後の37年に、あわてて追加設置したのが上弓削の霊場ではないでしょうか?

ちなみに83番は川南の善導寺町入り口です。ま、その奥院と考えましょう。

 


草野 鍛冶屋町のお堂

〒839-0834 福岡県久留米市草野町465

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この石碑に悩んでいます。ここには・・・

三井四国第六十一番札所

と書かれ、

脇にある手水鉢には、

明治三十六年五月十五日

草野町○紅桃林上村

女連中

と書かれているのです。

年度的には初期設定霊場に適合しますが、絵地図には草野町は入っていないのです。しかも61番札所は、東林寺なのです。

困りました。。。