三井四国八十八ヶ所霊場巡りが始まったのは、おそらく明治36年と思われます。

明治35年と36年に、各7名、合計14名の人が四国に渡って、四国八十八ヶ所の霊場を遍路し、お土を頂いて、三井郡に写し霊場を作ったわけです

さてさて、なんとなく注目を浴びない明治30年代って、どんな時代だったのでしょうか?

年表から、主だったものを拾い上げてみましょう。


明治30年

夏目漱石が高良山から発心山の桜花を訪問。10句を残す

 

歩兵48連隊が、国分村に移転してきた

久留米高等女学校開校

  九州鉄道 鳥栖~長崎間、開業

夏目漱石、明善校の英語授業を参観する

久留米衛戍病院、国分村に新築

平岡藤助が吹風琴というおもちゃの笛を考案 中国韓国に輸出

明治31年

鳥飼村大石~豆津 船橋が開橋する

 

原古賀遊郭が開業式を挙行し、桜町遊郭と改称する

井上伝三十年祭及び記念碑落成式

小森野・金島・天建寺・坂口などの放水路ができる

明治32年

  東京~大阪間 電話開通

 

久留米絣同業組合 勢力争い

株式久留米魚市会社設立

  福岡ほか数県でペスト流行

通町七丁目憲兵隊前道路開削

明治33年

田中正造、足尾鉱毒演説

 

國武商店が特許絣合名会社を鳥飼村大字白山に設ける

  道路取締規則制定 左側通行を採用

三本松町集産場の時鐘を市役所屋上に移す

九州連合自転車大競争会が水天宮裏で開催

合川尋常小学校が、校舎を新築

 明治34年 吉井馬車鉄道会社設立 
 

  八幡製鉄所操業開始

上津荒木・藤山・藤光の小学校が合併 上津荒木尋常小学校となる

久留米尋常中学校が福岡県立中学明善校となる

  関門連絡船の運航開始

通町道路幅拡張工事完了

日吉町有馬内蔵助別邸全地域埋め立て、市街地とし、有馬丁と称す(浪人茶屋)

 明治35年   八甲田山雪中行軍事件 
 

青木繁・坂本繁二郎・丸山豊の三人で、妙義山写生旅行に出発

つちやたび店が販売躍進

吉井~久留米 新県道開通

明治36年

久留米郵便局に電話所設置

 

吉井馬鉄株式会社を筑後馬車鉄道と改称

筑後馬車鉄道が、吉井~田主丸間営業開始

合川~宮瀬間船橋廃止。筑後川初の木橋宮ノ陣橋完成

  野球 早慶戦開始

  台湾バナナ 初入荷

明治37年

  ロシアに宣戦布告

 

 久留米歩兵48連隊が満州へ出動

筑後馬車鉄道 善導寺~上久留米開通

上記区間 石油発動機車運転開始

明治38年

篠山神社にて旅順陥落祝賀会

 

  日本連合艦隊 バルチック艦隊を撃破

 筑後馬車鉄道久留米市街線石油発動機車が運転 「馬車通り」「油鉄通り」

国分村にロシア兵俘虜収容所できる

 明治39年

久留米新聞社創立 

   
 明治40年  市中心部に電話開通
 

久留米病院 京町に新築落成

筑後馬鉄株式会社を筑後軌道株式会社に改称

久留米電灯が市内一部に点灯

久留米憲兵隊本部設置

師団設置につき、市より13万坪、有馬家より2万坪を献納