五十八番札所 藤山 から 桜尾霊場へ



五十八番札所 藤山

内野から3.5km。

専修寺の横にある弘法大師堂です。専修寺に聞いたところ、寺とは全く関係がなく、地域の人々によって守られているとのことでした。明治36年に藤山から「光安梅吉・中尾元吉・中村義記」の三名が四国にお砂を受けに行っています。聞き込みをしてみましたが、光安という姓の方がかつてはいたようですが、現在はいないようです。そして、この村は中尾・中村という姓の方が殆どで、探しようがありませんでした。

ところで、ここの八十八躰仏の41番は、「地蔵」と刻まれていました。十一面観音のはずが、どこも地蔵菩薩。いったいどういうことでしょうか?



七番札所 アン

2021年7月

「寛延記」というものを見ましたら、江戸の頃も、常楽寺は庵寺と呼ばれていたようです。

悩んでいます。アンという地名が見つかりません。ただ、ルート上に、古くから「庵寺」と呼ばれる常楽寺という無人寺があります。久留米市史第5巻にも、魚が飛ぶという昔話で登場していました。この七番札所に該当するかも?と思える場所が、他に2箇所あります。一つはグーグルマップにも「三井四国八十八か所巡礼所(藤山・上津荒木境)」と記載されている所。この霊場は、もう少し時代が新しいようにも思えます。もう一つは、これまたグーグルマップに「大地蔵菩薩碑」と掲載されている所。この石碑は、どう見ても高速道路の立ち退きにあったように思えたので、NEXCOに問い合わせてみました。NEXCOの方は、現地調査もしていただき報告をいただきました。しかし、不明とのことでした。というふうに両者を調査しましたが、どうもはっきりしません。

ただ、常楽寺のお堂の中を、まだ拝見していません。地域の方々が当番で清掃されているとのこと。まだチャンス有りです。



奥院 ノゾエ

国道3号線、野添の交差点の近くです。ひっそりと佇んでいます。ブロックで作られた避難小屋みたいな小屋。ペンキで散々落書きがされていましたが、おそらく接待の場所だったんでしょうね。不思議な感じです。



奥院 サクラヲ

野添の霊場から、国道三号線を渡り900m。道沿いにポツリとあります。この道は古い地図を見ると重要な道のようです。

桜尾の終えると、光勝寺に向かいます。