北野 十郎丸 から 筑後川 古北の渡し を目指します



【十郎丸考】

十郎丸には、3つの霊場を確認しています。

もっとも西側の「御日間殿」。北東側の「ハセコ」。南寄りの「衣丸」。

衣丸は、衣装丸とも書くようですが、読み方は「イショマル」かな?「丸」とは高台の意味があると地名書に書いてあったようなないような。

この衣装丸も次の江口も、どうも菅原道真との関わりがあるような歴史記述もあります。

さて、以上3つのうち、どの2つを暫定霊場としましょうかな?


奥院 十郎丸 ハセコ

大正6年11月1日

弘法大師堂敷地十坪

 

と読める石碑がありました。

もしかしたら、大正6年に建立されたか、引っ越ししてきたのか。 

 

だとすると、ここは絵地図とは違う霊場かもしれません。



奥院 十郎丸 御日間殿

オヒルマデンと読む、薬師堂だそうです。

 

 



奥院 十郎丸 衣丸

イショマルと読みます。ハセコとどちらかが明治36年時の霊場と思われますが、こちらは個人宅の要素が強いので、ハセコを霊場とします。

 

2021年7月

北野町史を呼んでみると、衣装丸(と書いてある)は菅原道真ゆかりの地らしい。もしかしたら、ここが候補かもしれません。

 



十郎丸に関して、絵地図上では2つの霊場。それに対して現存3つの霊場を並べて、結論を先送りしましたが・・

続く「江口」では、絵地図上の霊場は2つに思われますが、確認できる霊場は1つのみ。ヤレヤレ。

川北道中案内では、「江口 南」と「江口 堤嘉平宅」の二ヶ所。でも、「堤さん家霊場」が見つかりません。

どうもはっきりしないのですが、下のエリアあたりが「江口」だと思います。

 


奥院 江口  堤嘉平宅

このエリアには堤という姓は多いそうです。このお堂が堤嘉平さん宅には思えないのですが、聞き込みをしてみます。

 



奥院 江口 南

 

 立派な現役のお堂です。



奥院 高良



三十三番札所 高良 西道南 黒岩次市宅

現在お住まいの方に、確認を取ることができました。間違いなくここが33番札所だと思います。



三十二番札所 高良 牟田

現地の方のお話で、この辺りを、かつて牟田と呼んでいたそうです。横に小さな川というか溝がありました。おそらく治水工事が完了するまでは、湿地帯だったのでしょう。



奥院 鳥巣

絵地図では、トリノスと書かれていますが、現在は鳥巣と書いて「トリス」と読むようです。