寺町 から 枝光 へ



私が書いた赤丸のせいで読み取りにくくなってしまいましたが、国道に「櫛原」書かれています。つまり、櫛原にある霊場から寺町へと向かうことを意味していると判断します。

国道は小森野放水路を渡りますが、この様子は、下記の明治33年の地図で確認できます。

遍路は枝光から筑後川を渡るわけですが、描かれているのは、舟を並べて作った「船橋」です。よく見ると、小舟の帆先が確認できます。でも、この船橋は有料だったそうで、遍路は「渡し」だったのではないかと思っています。

三井四国八十八ヶ所が始また明治36年に、筑後川初の木橋宮ノ陣橋が完成し、船橋は撤去されます。

 

参考web 宮の陣中学同窓会

 


奥院 櫛原

絵地図を見ると、空白の霊場からストレートに寺町へと遍路道がつながっているように思えますが、国道に「櫛原」と記載されていることから、この霊場を候補として上げてみます。

 



三十五番札所 千栄寺

以下、35番札所・34番札書・31番札書は、医王寺のご住職のアドバイスから想定しました。

35番札所は、千栄寺という曹洞宗の寺院です。余談ですが、まるで教会のようなムードです。コンサートなんかも開くことができるところです。

現在では、三井四国八十八ヶ所の名残は全くありません。

やはり曹洞宗ですから、千光寺の流れのようです。



三十四番札所 遍照院

遍照院です。真言宗の寺院です。それらしいムードはあるのですが、門の脇に「三井四国霊場」の石碑があり、困ったことに、33番札所と書かれているのです。

 



三十一番札所 医王寺

三井四国八十八ヶ所霊場巡りのキーとなっていた寺院のようです。少なくとも、平成時代は、お札の製作などのお世話をなさっておられました。

 



奥院  枝光 

枝光の霊場がどこなのかは悩ましいところですが、やはりここだと思わざるを得ません。