光勝寺 から 二間茶屋霊場へ
桜尾霊場から1.7km。絵地図の標記距離とは合いませんが、そういう点は多く、あまり気にしないほうがいいように思えます。
上津荒木村(コウダラキムラ)光勝寺という住所です。ですから、現在ある光勝寺という寺院とは限らないのです。寺の若い住職のお話によると、かつてこの地には光勝寺という広大な境内をもつ寺院があって、地名となった。その地に現在の光勝寺を建立したので、地名から光勝寺としたとのこと。
この寺の中に、地元の方々がお世話をされる弘法大師堂があります。鍵がかかって、鍵は町内の方がお持ちで拝見することはできませんでした。
本山丘陵のお堂。この辺りの霊場巡りの順路は、明治41年頃と思われる道中案内と、かなり異なっています。光勝寺と下村の間のお堂となると、ここが一番有力地です。下村という地名は、現在、本山という地名に変更されています。丘の上にあることから、辻堂とは異なり、地域の「弘法山」に値するように思えます。
このお堂が該当霊場かの確信はありません。
下村、現町名本山にはいくつかのお堂があります。しかし、どれが絵地図の霊場に該当するかが解りません。唯一、平成16年の順路に「延命地蔵」というのがあり、それが該当お堂かとも思われますが、御札がありません。唯一御札が置かれているのが、ここ、川原組観音堂なのです。田中屋敷のお堂は、明治33年の地図では、田中村に所属しているので該当しないと判断しました。追加の調査が必要です。
上村とは、現在の上津になります。下村(現在の本山)の東側になります。絵地図では、国道三号線を挟んで2つの霊場が設定されています。この霊場には60番札所と看板が掲げられています。明治41年の道中案内にも、上津に60番札所が記載されています。よって、この霊場は間違いないと判断します。
手水鉢に「明治36年」と彫られています。当時は、60番札所とは認められていなかったのかもしれません。