そもそも、どういう経緯でこんな調査を始めたのか、聞いてください!

2019年の夏のことです。僕は健康維持のために、ウォーキング、ま、散歩を日々やっていたのです。自宅から歩くこともあれば、バイクで移動して、そこから歩く、または、電車やバスを使って歩く。楽しいものです。

そうやって散歩して、自宅に戻って歩いたコースや見たものをグーグルマップで確認するのです。撮った写真もグーグルフォトにアップ! で、歩いたコースを確認すると、目印としてグーグルマップにやたらに「○○のお堂」てのが載っていることに気がついたのです。これは僕が住んでいる久留米市近辺の特徴かもしれません。本当にやたらに多いのです。

そんでもって、その後、歩いている時には、「はは~、これが○○のお堂だな」と考えながら歩くようになりました。

するとですよ、面白いことに気がついたのです。

どこのお堂に行っても、「三井四国ナントカカントカ」って書かれた御札?木製の長さ40センチぐらいの板ですね、が置いてある。しかも何枚も!

で、一番新しそうな板には、「平成30年120周年」と書かれています。なんじゃ?これは・・・???

ま、この「なんじゃ?これは・・・???」がスタートってわけです。

 

そこで、ある時、お堂のお水を替えている人がいる。

「あの~、この三井四国ナントカカントカってなんですか?」

答「う~、私も何のことか知らんとです」

ますます、疑問が膨らみ、行く先々のお堂の近所の人に聞きまくりますが、すべて全員、ワカランと。

で、ある時、ある人が、「う~ん、なんか毎年、数人の人がお参りに見えるが、どうも今年の春で終わったらしい」とのこと。ますます怪しさに興味が湧いてきました。

ヤフーの知恵袋にも質問。でも、??

この話をうちのかみさんに話したところ、「何か知らんけど、うちの母もなんかしよった。私も子供の頃ついていったことがある」。ほ~、で、その母なる人に聞いてみると、「は~、私も何かよくわからんがしよった」

は~??よくわからんでしよった? 何じゃそれって。

で、その母様いわく「小郡の如意輪寺の住職が知ってるかもしれんよ。あの有名なかえる寺たい」

仕事を引退して2年目の退屈な僕は、即、かえる寺へ出掛けていったわけです・・・・

 

「こんにちは、あの~、三井四国八十八ヶ所霊場巡りってなんですか?」

住職「あ~、あれね、10年前にやめた。終わった」

僕「でも、平成30年と書かれた御札がありましたよ!」

住職「そんな馬鹿な。10年前にやめたからあるはずがない」

僕「でも、あるんです」

住職「どこにあったの?」

僕「久留米の御井町です」

住職「あ~、川南ね。うちらは川北。筑後川の北側が川北で、南側が川南。霊場があんまり増えすぎたので北と南に分かれてやっていたと聞いているヨ。で、川北は10年前にやめたけど、川南は最近までやっていたのかもしれないね。川南のことに関しては、醫王寺に聞いてみるといいよ」。。。

 

ということで、醫王寺へ!! 醫王寺も久留米の寺町にある由緒正しいお寺です。

またまた緊張しながら・・・「ごめんくださ~い」

 

そこで、醫王寺の井上住職に親切に教えていただきました。

ただ、醫王寺も、あくまでもお世話係で、お参りの指導者というわけではなく、ご住職も回ったことはないそうで、根本的にはよくご存じありませんでした。

で、頂いたのが、このサイトでもご紹介している、明治36年の三井四国八十八ヶ所霊場巡りの絵地図。そして、川南道中案内書だったのです。

ここから、僕の探偵生活が始まったのです。

 

チャンチャン