原古賀町の大堀?

 

原古賀町の大堀って、何でしょうか?どこでしょうか?

堀というと・・深くほってあったり、水が溜まっていたり・・・さてさて、そんな場所は見つかりません。

そして、アレヤコレヤ地図を見ていたら、こんな物を見つけました!!

 


この地図は天保時代の久留米城下図です。(久留米市史第二巻付録より)

天保時代というと1837年前後です。

赤い四角のところには「無量寺」と書かれています。

右側の斜めのラインが小頭町で、左側の縦のラインが本町で、2つの町に挟まれているエリアが原古賀町になります。

赤い円のところを見てください。堀か池か、湧水か?なにやら水が描かれています。

もしかしたら、ここが原古賀町の大堀かも?

そして、赤い円の中に凸形の場所があります。この形を覚えておいてください。

 

これは、明治35年の地図です。赤い円のところが先程の水があったところです。

凸形の場所は同じです。

しかし、省略されたのか、消滅したのか、水の形跡はありません。

 

ちなみに、無量寺の右側(東側)が、現在の小頭町公園になります。

 

そして、これが大正15年測量の地図です。赤い円の中に、しっかり凸型のエリアが見えています。

さてさて、この凸形はいったいどこなのか??

 

スペシャルコンテンツ、今昔マップで現在の場所を特定してみました。

今昔MAP

http://ktgis.net/kjmapw/index.html

 

そして、このエリアを散策した結果・・

お堂を発見したのでした。\(^o^)/

 

 

 

 

 

整理番号 77  大堀

十一面観世音  44番札所   原古賀町大堀     一丁目より2丁

 

※現在は、凸型のエリアはありません。

このエリアは、1945年8月11日空襲で大きな被害を受けたところです。戦後、街の形は変わりました。でも、不思議なことに、軍の施設は空襲を受けなかったそうです。